バリスタエッセイ「ナカノ永久機関」
カブトムシ
2017年8月25日(金)
小学校の三年生まで両親とともに祖父の家で暮らしていた。浜松市の郊外の富塚町というところだ。今でこそ市街地への交通の便も良い住宅街だけれど、昭和の初め頃までは富塚村だった。
祖父の家があったのは新興住宅地ではなくて、上ノ平という字(あざ)が残っている地区になる。
旧舘山寺街道に神明宮というお宮があって、その脇に細い坂道がある。祖父の家は、その鬱蒼とした竹藪に囲まれた坂道を上がったところにあった。
小学校に上がる時分に、お宮の境内にある珠算教室に通わされた。坂道をはさんだお宮の反対側には食料品店があり、小遣いをもらってよく菓子パンを買ったものだった。
元来引っ込み思案なのでそろばんは憂鬱だった。菓子パンに釣られてようやく行けたようなものだ。今思えば、ひとりで坂道を下って、そろばんやお使いに行けるようにという親心だったんだろう。
毎年夏になると店の軒先でカブトムシが売られていた。透明のパックに一匹のカブトムシとおがくずが入って百円ぐらいだったと思う。その時はもらった小遣いで菓子パンではなくカブトムシを買った。
祖父の家の裏が竹藪で、スイカの皮でも放っておけば、野生のカブトムシなんていくらでも捕まえられたのにもかかわらず。
子どもながらにその矛盾はわかっていた。でも、僕にとってそのカブトムシは「ひとりで決める」ということに他ならなかった。
何かを決断する時はカブトムシを思い出す。

中野隆靖 Takayasu NAKANO
1972(昭和47)年、静岡県生れ。武蔵工業大学工学部卒業。2011年、カフェナカノ開業。オーナーバリスタ、ラテアーティストとして活躍中。

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